1268年蒙古から幕府

国書が届き、他国からの侵略の危機が現実となる。

日蓮は北条時宗、平左衛門尉頼綱、建長寺道隆、極楽寺良観などに書状を送り、他宗派との公場対決を迫る。

1271年7月極楽寺良観の祈雨対決の敗北を指摘。

9月良観・念阿弥陀仏等が連名で幕府に日蓮を訴える。

平左衛門尉頼綱により、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で捕らえられ、腰越龍ノ口刑場にて処刑されかけるが、球電現象らしきことが起こり、太刀取や兵が恐れてしまい処刑は断念される。

10月評定の結果佐渡へ流される。

update:2010年03月06日